木瓜と蘭(2)

人は、墓場までもって行こう、決して喋らないぞ、と言う秘密を何かしら持っているもの
だ。男は、往々にして女性問題になりそうだ。 女性も男性問題の秘密が何かしらあるは思うが当然よく分からない。男性諸君、墓場まで持って行こうという秘密、ぜったい持たない方がよい。 歳をとって、 当燃ボケてくる、そうなると今までしゃべるまいと決意していた事を何の意味もなく、しゃべるは舌(しゃべる、尾ひれをつけおまけに背びれまで付けて、 自慢気につれあいに自分の秘密を話してしまうのだ。 諸君、わかったと思うが待っているのは地獄だ。 夜な夜な眠っている君はつねられる事になる。 人は、時間が経ちポケてくると全てが倒壊する、 その前に、自己欲を吐きだしたほうがよさそうだ。
個性…歳をとっていくと人はボケていく。 オギャーと生まれ生まれたときから、学びが始
まる、そこから個性が芽を出す。 親に教師に友に本に絵にAIに... 育てあげられる。 今、考えたり、しようとしている事が作り出される。 「繰り返し」 の世界が 「意識」 の世界だ。 安心 安寧の世界は美しいと思うとこに存在するし、 「美しいと思う」 世界は今までに存在した世界で、 その 「美しいと思う」 世界から 「自個性」 と思うものをひっぱり出す。 「美しいと思う世界からひっぱり出した」 ものは個性ではない、 つまり自分が 「美しい」 「納得の
追求」 と思うとこに個性などないし芸術性もない。 人はかって見たことのないものに恐怖を感じ、嫌うがそこに、新鮮な自個性が隠れている。 歳をとって、 幼い頃からの 「自個性」 が取り外される 「ボケ」 が始まると 「個性」が流れだす。 美しい水の流れも溜まる一方ではヘドロをもたらす。 「美しい」と思うものは尊敬の念をもって捨てよう。 芸術家よ、 「繰り返し」 からは何も生まれないぞ。
「さあ言え、おまえは何処から来た、 さあ言え!」 禅師は尼僧に尋ねた。 「善いところから
来たのか、悪いところから来たのか?」
尼僧は馬鹿なことを聞くなとばかりに「か一つっ」 と一喝をいれた。
禅師は棒を持って、 もう一度 「さあ言え、 おまえは何処から来た、 さあ言え」 と尋ねた。
尼僧はもう一度 「か一つっ」 と一喝をいれた。
禅師はその棒で尼僧を打った。
とさ。

木瓜と蘭

 何処も 水行く途中 春の暮(永田 耕井)

冬も終わり、春が日増しに近づいてくると、何故か身体がムズムズして、踊り唄いたくなる。本能が理性という殻を打ち破り顔を現す。春の訪れは祭りのはじまり、祭りに理性は存在しない。

 スペインは3月になると、花が芽生えるようにお祭り気分が人々のこころの中に芽吹く。全てがどうでもよくなる、ただ飲んで食べて、歌って踊って、口説きあう。日本人とまったく同じである。スペインはアンダルシアの祭りで若者は、まず靴を新調する、そしてそれを履いてディスコに繰り出す。何のためかって、それは女性を口説くためしかないでしょう、お祭りなんだから…。お目当ての女性をダンスに誘い、そっと彼女の足先を新品の靴で踏みつける、彼女は顔を赤らめて下をむく…これがアンダルシアの祭りでの正しき女性の口説きかたである。たまに「痛いわね!何すんのよ、このスットコドッコイ!」と言われる時もあるが、そういうときは、すごすごと黙って引き下がる…祭りだ祭りだ。

 スペインはパンプローナで行われるサンフェルミン祭、別名牛追い祭り…号令一下、閉ざされた町の道路に6頭の雄牛が放たれ、闘牛場まで屈強な男たちとの追っかけっこが始まる。「牛追い祭り」と言われるが、どう見ても「牛に追われる祭り」だ。500キロ以上の、それも研ぎ澄まされた角(つの)を持つ雄牛に追いかけられる並外れた恐怖心は例えようがない。怪我をするかもしれないし、下手をすれば死をまつことになるかも…これが祭りでもあるのだ。故に男達は怪我を避け、恥ずかしくない、芸術的な「逃げ足」を追求している。むかしマドリードのアパートに住んでいた折、上の階から、ドタバタ、ガシャー、バタバタ、アントーニオ、ワーッ(泣き声) パターン、ブーっ…何事かと外に出てみると、アントニオの奥さんが肩で息をしながら、手には包丁をもちたたずんでいた。何をしでかしたのかアントニオのやつ…それにしても「逃げ足」の早い奴だ。この時、理解した、この「逃げ足」が祭りの究極であると。間違いなくアントニオは「牛追い祭り」でヒーローになれる。

 踊りも歌も、そして祭りも「宗教」から発生している。なぜかお題目を聴いていると踊りたくなり、歌いたくなり、祭りのことが頭に浮かんでくるのはそのためだ。スペイン、アンダルシア地方は信仰心の強い老若男女が多く、勿論お祭りが大好きというかその本能がダダ漏れている。春が訪れと共に強烈な祭り気分がアンダルシアを包み込む。守護聖母(マッダレーナ)を乗せた山車(だし)が町なかを練り歩き、その周りには、沸騰した人々が寄り添う、というか聖母を触りまくる。町を徘徊していると、あらゆるところから祭りの祝い酒が回ってくる、流石に町の広場で酔い潰れて倒れていると「なにこんなところで寝てるんだ、踊れ踊れ!聖母様がお通りになるぞ。ギャー」…しばらくして、触られまくった聖母様が斜めに傾いた御姿で通っていった、祭りだ祭りだ、わっしょい。

狂老人のひとりごと

唯一無ニのアート、前に一歩、二歩だけでも進める可能性を有している作品が唯一無のアートです。人はこの世に生まれてすぐ洗脳(?)されて育っていく。数を覚え、言葉を知り、…尊敬する先人は生きやすい手段、方法を作り上げてくれてきた。人はその中で享受し、応用し、悩み…。しかしながらアートはそれら全てを不定する。善い悪いをいっしょくたんに捨て去り、ただただ前に進み、見えてきたものを表現する。海のものとも山にものとも分からない世界に突入するのだからアーチストも大変だ。「何だか」わからない世界を引っ張りださないと時間は回らないし川も流れない。まずは「自分の個性がものを表現する」と確信していることから脱けだすのだ。尾形光琳の「燕子花」は燕子花ではなく、「尾形光琳の燕子花」であり、写真で見る「花木」は花木ではなく、「写真に写った花木」である。アーチストは模倣からものを創りあげていく、そこからしか作品を創りあげる手段がない。…そして不定するのだ。意識している全てを尊敬の念をもって不定する。…唯一無ニのアートが顔を出し始める。

 全ての事柄に伝統があるように、アートにも伝統がある。

 「ラス・メニーナス

 「ラス・メニーナス」はスペイン王ヘェリべ4世とマリアナ・デ・アウストゥリア王妃の肖像画である!「謎が多い絵」と謂れている、…描かれている人々、舞台装置、構図、鑑賞者の見る位置(鏡をつかったり…)などと考えながら鑑賞するという旧態依然のやり方だと、ずっと「謎の絵」のまま、「ラス・メニーナス」はふわりふわりと鑑賞者の周りを飛び回ることになる。

 ヘェリッべ4世とベラスケスの友情は大変厚く、お互いの信頼度は凄いものであった。ヘェリッべ4世は政治ごとにはからっきしだが芸術を愛し、すばらしい審美眼の持ち主で、何よりめっぽう女性が好き…かたやベラスケス師はと言えば絵描きバカの堅物、イタリアでの一回きりの浮気だけ、この二人はなぜかウマがあった。何故ウマがあったかって、あってしまったのだからしょうがない。この二人、芸術を愛すということではツウカアの仲である。

 「 ヘェリッべ4世、ちょっといいですか?」

 「なんだい、ディエゴ(ベラスケス)」

 「貴方の肖像画の件なんですが、今までみたいにあたりまえの、顔、かたちを写しても面白くないと思いますんで貴方の内面を表現した肖像画を描きたいと考えますがよござんすか?」

 「いいねえ、永年の付き合いでツウカアの俺たちだ、任せるよ。」

 …ベラスケスはヘェリッべ4世に成り代わってキャンパスに筆を走らせた。

 「ヘェリッべ4世は、おチビちゃんの王女マルガリータを溺愛しているから、それを絡めて彼のこころの中を描いてみるか、彼は審美眼を持ち、友情に厚く、女性好きときてる。ほっほう面白くなってきたぞ、ヘェリッべ4世のこころの中の肖像画だ。…」

 「出来上がったかい、ディエゴ。オオ、これは俺自身だ。おれのこころの中が見事に表現されているぜ。早速朕の部屋に持っていってずっと飾っておくぜ。」

 芸術(アート)の道を歩く人の前には何もない、なにも存在しない。「ラス・メニーナス」は、その道程を示してくれている。


 
       ピロポ(男が女性に投げかける褒め言葉)
 1970年代のスペインではピロポ(女性への褒め言葉)はまだまだ盛んであった。先ず男性は女性のまえに立ったら必ず帽子を頭から外さねばならない。何故かって、決まりだからしょうがない。そして歯が浮こうが浮くまいが、男は思いついた「その女性への褒め言葉」を並べ立てねばならない。女たち、失礼、ご婦人たちあっての世の中なのですから。女性が太陽なら男性はその周りをうろちょろする惑星なのですから…。師、先生、先輩、友達などと「通り」で難しい哲学、数学、文学などの議論をしていても前を素敵な女性が通りすぎたら絶対に議論を中断し、ピロポ(女性への褒めことば)を実行せねばならない。泥棒と警官が追いかけっこをしていても中断し「ピロポ」を言わねばならないのだ。大袈裟だ、ありえないと君たちは言うだろうがこれは事実なのだからしょうがない。対して女性は少なくとも「ありがとう。」のことばをもって返さねばならない、否、返してくれる。
 バル(居酒屋)にペットの犬を連れた女性が入ってきて何かを注文しているのを見て、そこにいたおっさん「バルに豚を連れて入るじゃねえよ。」 ご婦人「あなた、呑みすぎではございません?豚ではなくカワイイわんちゃんですわよ!」
おっさん「おれは犬に言ってるんだ。」…間違いなくこの男、地獄で閻魔様に舌を抜かれますよね、そうでしょうお美しい女性諸君? 男は、間違ってもデパートのバーゲンセールで服を競いあって古い獲ったりするご婦人たちを想像することなく、小さな民族博物館できれいに陳列し終わった完全保存のミイラの部屋に集団でドヤドヤとご婦人がたが見学に入りペチャクチャ喋りあげた挙句、大きな尻をミイラの顎にぶつけ頭を飛ばしてしまったことなどまるでなかったかのようにし、法王が眼の前にいるがごとく女性と接しなくてはならないし、適切な褒め
言葉を投げかける、スペインのピロポとはこういうものなのだ。
 「お嬢さん、今日は何て素敵な日なのだろう。あなたの憂いを含んだ濡れた瞳で見つめられた時、荒んで渇いた僕のこころはオアシスを見つけてしまったときのように全てが満たされるのです。何か飲み物でもご馳走させて下さな。」
「ありがとう、坊や。でもサングラスをしているのによく憂いを含んだ濡れた瞳と分かったわね、おととい、いらしゃいね。」時たま、若者はやらかしてしまうのもご愛嬌で、必死さが表れているのはなかなかよろしい。「ありがとう、セニョール。」この言葉の響きの中には「わがまま、傍若無人、シリメツレツ、没論
理的、お行儀の悪さ」を含んでいる、含んでおらねばならない。それを感じとった男たちは来た道をスゴスゴとまた帰らねばならない。太陽であるご婦人にもの言える惑星(男性)は存在しないのである。
 「ありがとう、セニョール。」を言えない、おしとやかで恥ずかしがり屋の女性(あなたのことですよ)には、2の矢の「ピロポ」が飛んでくる。「あなたのこころを閉ざしている鉄格子を、私のちょっとした言葉で柔らかいキャラメルに変えてあげましょう、可愛いカーネーションさん。」素敵なフレーズでしょ。言われた女性はその場にへたばり、その優しさに感動し…そんなに甘くはないわよ。
そんなこんなの「ピロポ」という一瞬のドラマは幕を閉じ、何事もなかったよう
に今までの生活に戻っていく男と女。我が日本も角には置けない、「粋」というものがちゃんと存在する。有名な落語の一節に「真夜中、新婚夫婦はすやすやと眠っていたのだが、婦人は我慢できずどデカい屁を放ってしまいました。あっと思い、隣りをみると夫はコンコンと眠りこけている。妻は、あゝよかった気ずかないでぐっすりと寝むっているわ。とその瞬間、大きな地震が…。翌朝、妻が夫に、ゆんべあんなに大きな地震があったのによく気ずかないで寝ていられましたね。夫ビックリして、地震があったて?そりゃ屁のまえかい、あとかい?」
 ダンディズムとはなんぞや?辞書には「洒落た人」と載っている。もっといろいろあるだろう、「ピロポ」をたのしむスペインおよびラテン系の人達。日本では寡黙で粋な人達、キザを嗜む人…。人生という演劇の中で一瞬の演技を楽しんでいる人達のことだ。
 1975年11月20日 El Caudillo フランシスコ・フランコ・バーモンデ 永眠。歴
史的文化、ピロポをはじめ闘牛、フラメンコ、芸術も少しずつ薄まって、新しい
文化がスペイン各地に台頭しはじめ急激に変わっていくのであります。

ベラスケス「ラス・メニーナス」考察

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1656年、スペインはマドリードで画家ベラスケスは 「ラス ・メニーナス」(宮廷の侍女たち)を描いている。ベラスケス作の「ラス・メニーナス」はとっても有名な絵なのでどんな作品なのかすぐに調べられる。登場人物を紹介するので参照してね。アンダルシア地方都市セビリアからマドリードの王宮に呼ばれたベラスケス57歳のとき、フェリペ4世時代のもと今までに存在しないような絵にとりかかった。       「ラス・メニーナス」とは王女マルガリータの両脇に描かれているご婦人達(宮廷の侍女たち)のことであり、身分の高い貴族の出身者で、王女の世話役である。むかって左側がマリア・アグスティーナ・サルミエント、右側がイサベル・デ・ベラスコと謂う若いご婦人がた、因みに右側下の方に描かれている矮小のご婦人がマリ・バルボラ、犬を蹴る青年がニコラシート・ベルトゥサト、蹴られる犬の名はモーゼ。右中央あたりがマルセラ・デ・ウリョア婦人とディエゴ・ルイス・デ・アンコナさんで、いちばん後ろにホセ・ニエト。むかって左側、どでかいキャンバスに向かうおじさんが画家ベラスケスとなっている。真ん中の鏡に映るのが、フェリペ4世とマリアナ・デ・アウストゥリア王妃。で、何と言ってもこの絵の主役の5歳のおチビちゃんマルガリータ王女となっている。  皆それぞれの人生を全うしていく、若くして亡くなってしまう方、長生きの方、歴史の渦の中でそれぞれが浮世店。

ラス・メニーナス」はフェリペ4世とマリアナ・デ・アウストゥリア王妃の肖像画である。描かれている人々、舞台装置、構図、鑑賞者の見る位置(鏡を使ったり…)を考慮に入れて鑑賞するという旧態依然のやり方だと、ずっと「謎の絵」のまま、この「ラス・メニーナス」はふわりふわりと鑑賞者の周りで飛び回ることになる。フェリペ4世とベラスケスの友情は大変なもので信頼感は凄いものであった。フェリペ4世は政治事にはまるっきしだが芸術を愛し、審美眼の持ち主で、なによりめっぽう女好き、かたやベラスケス師はと言えば絵描きバカの堅物、イタリアでの一回きりの浮気だけ、そんな二人はなぜかウマがあった。何故ウマがあったかって、合ってしまったのだからしょうがない。この二人、芸術を愛すと謂うことではツウカアの仲である。

 「フェリペ4世、ちょっといいですか?」
 「なんだい、ディエゴ(ベラスケス)」
 「あなたの肖像画の件なんですが、今までみたいに当たり前の、顔、かたち、を写しても面白くないと思いますんで貴方の内面を表現した肖像画を描きたいと考えますがよござんすか?」
 「いいねえ、永年のつきあいでツウカアの俺たちだ、任せるよ。」
ベラスケスはフェリペ4世になり代わってキャンバスに筆を走らせた、「フェリペ4世は、おチビちゃんの王女マルガリータを溺愛しているから、それを絡めて彼のこころの中を描いてみるか、審美眼を持ち、友情に厚く、めっぽう女好きときてる。ほっほう、面白くなってきたぞ、フェリペ4世のこころの肖像画だ。」…
 「できあがったかい、ディエゴ(ベラスケス)。オオ、これは、俺自身だ。おれのこころが表現されているぜ。さっそく朕の部屋に持って行ってずっと飾っておくぜ。」
 ざっと言うとこんな感じである。
 芸術(アート)の道を歩く人の前には何もない、なにも存在しない。

師ベラスケスの「ラス・ メニーナス」はその道程を示してくれている。

今日もスペイン異常なし その壱

  1936年、モロッコからフランコ将軍がクーデターを発し、1975年にマドリードで亡くなるまでフランコ政権による独裁政治がつずく。勿論、 国葬マドリードの中心地で行われる。私もグランビアとよばれる通りで棺桶の来るのを待っていたのだが、待てど暮らせど来ないので「ここで40分も待ってるのにまだ通らないぜ…。ったく。」とこぼしてたら、後ろにいる爺さんが私の肩をポンポンと叩いて言った言葉は「お若いの、40分ぐらいなんだ、わしは40年待ったんだぞ。ったく。」…けしからん話しでしょ。独裁政治は血なまぐさい殺しあい、自由な思想の排除、等々、あったが反して民衆に良きこともいろいろあった。物価が安い、治安がよい(テロは日常茶飯事なのだが)、等々。

 フランコ政権の間ではスペイン文化はまだまだ受け繋がれていた。闘牛とかフラメンコとか煙草とか博打、ファション、祭り、などなど。フランシスコ・フランコ将軍、国民はカトリック教を支持し(なかにはひどい教派もいるが)、その上に乗って文化は継続してきたのだ。スペイン文化には「生と死の間」に成立っているものが多くある。闘牛などはなにかあなたも感じそうでしょ?雄牛かマタドール、絶対にどちらか倒れるまで儀式が続くのよ。黒い雄牛はあなたの抑えきれない感情であり、マタドールは神なのよね。日本人とスペイン人はよーく似てるよね昔から。才能ある人がでてきて神格したドラマをつくる。相撲、闘牛、等々。

フラメンコにいたっては「生と死の間をいったりきたり」知ってた?フラメンコは唄がメインだってこと。人のもつ嫉妬、ねたみ、弱さ、等を、こどもから80歳をこえた爺いまでもが汗をながしながら表現しようとするんだ。

 フランコ政権時代の芸術が凄いのだ。若い芸術家は思想の弾圧からの自由への脱失のため、スーパーリアリズムを手法、手段として制作に励んだ。彼等の写真のような絵の奥から、その時代の血と砂、裏切りと不安、が感じ見てとれる。

 1960年から1970年の闘牛ほど面白い時代はない。雄牛(暴れまくる嫉妬心)を傷めつけ、翻弄し、最後にマタドール(自分のなかの神の化身)が優しく雄牛の息の根をたつ。ドラマの開始は太陽の「光と陰」が競技場を真っ二つに切り裂いたとき、真夏の日曜日、今日の出演は3人のマタドールと6頭の雄牛、脇をかためるマタドールの家族は派手なリボンの付いた小槍の準備と馬の準備に余念がない。

マタドールは下着を身につけず動きを抑制されたピシッとした派手な衣装で、手にはムレータ(マント)と隠し持ったサーベル。彼は 雄牛から4~5メートルはなれて立って「さア 来い。」と演技を見せるのだ。4~5メートルの距離は遠いと思われるかもしれないが、雄牛の焦点はその辺である。槍ともりに傷めつけられた雄牛は「この野郎っ」とばかりにマタドールへと突っ込んでいくのだ。メッカチの雄牛なればどこに突っ込んでくるのかまったくわからない、殺られる割合はものすごく高くなる。人智を超えたマタドールの精神は、スイスイと「死と生」

の間で演技を続ける。何事もないかのように…真夏の闘牛場、人生のドラマ「生きるとはなんなの、死ぬとはなんなの」を考えさせてくれるもの「闘牛」。

 闘牛は歴史が長いのでいろいろなドラマが存在する。マドリードのベンタスという場所にある闘牛場には、名をはせたマタドールの 名前が彫られてある。上手くて人気があるだけではだめで、勇気、品格、雄牛に対する尊敬の念、等々が兼ね備わっていなければそこに推薦されないのだ。彫られたマタドール、誰がみても熱狂し昂奮させたが彫られなかったマタドール、1960年から1970年の闘牛は凄かった。アリーバ・エスパーニャ、ビーバ・エスパーニャ!

 つぎは1656年まで時間をさかのぼって「ラス・メニーナス」についての考証よ。